電気自動車とブッシュ政権と日本の通信・放送の融合


いまシアトルでは、Chris Paine のドキュメンタリー映画 "Who Killed The Electric Car?" が上映中。 数週間前に観た地球温暖化についての映画と同様に興味を感じたので、観てきました。 (7/14/2006 21:20 at Seven Gables Theatre)


電気自動車の歴史は意外と古く、1903 年には警察が電気自動車の一般道でのスピード違反を取り締まった記録が残っているそうですが、この映画の主題は 1990年代に開発され、2003年ごろまで一般消費者にも提供されていた電気自動車。 映画は GM の電気自動車をめぐる状況を詳しくフォローしているけれど、Ford, トヨタ、ホンダの電気自動車もほぼ同じ顛末をたどったようです。

  • 1970-1980年代、カリフォルニア州では大気汚染の問題が深刻化、とくに子供たちの間で喘息や肺病などの発病率が上昇。
  • 1990年、カリフォルニア州の委員会 CARB (The California Air Resource Board) が、自動車メーカーに対し、州内で販売される車の一部を Zero Emission Vehicle とすることを義務化することを決定。
  • 1990年、GM は先進的な電気自動車「Impact」を Los Angels Auto Showで発表。 後に1996年、EV-1 という名前で一般顧客向けのリース販売 (月400-500ドル) を開始。
  • 1995年、AAMA (American Automobile Manufacturing Associtation; 自動車メーカー業界団体) は、カリフォルニアの Zero Emission Vehicle 義務規制を撤廃させるべく圧力をかけるキャンペーンを開始。
  • 1996年、CARB は自動車メーカーの抵抗をうけ、義務規制を当初のプランよりもやや緩和。
  • 1999年、GM は Hummer (大型車) のブランドを買い取る。
  • 2000年、大統領選挙、ブッシュ氏が大統領に。
  • 2001年、GM は EV-1 の販売部隊を解雇しはじめる。
  • 2002年、GM と DaimlerChrysler などが、CARB は ZEV 規制を撤廃すべきであると連邦裁判所に訴訟。
  • 2003年、ブッシュ大統領は一般教書演説 (State of the Union Address) の中で水素燃料電池車 (Hydrogen Fuel Cell Vehicle) の研究開発の重要性を強調。
  • 2003年、CARB は実質的に ZEV規制を撤廃。
  • 2003年、GM, Ford, トヨタ, ホンダ, 「実質的なニーズがないようだ」との理由で (これはかなり疑わしいと この映画は主張している)、電気自動車の販売を終了。
  • 2004-2005年、各自動車メーカーは電気自動車を回収。 電気自動車の販売継続を訴える消費者有志の人たちの草の根運動にもかかわらず、ほとんどは処理場でスクラップ処理された。


クリントン政権時代の副大統領、Al Gore氏は当時から温暖化問題について活動していたことが知られており、クリントン氏とゴア氏が自動車メーカーの社長を前に温暖化問題の状況について皮肉を言うという面白い場面の映像がこの映画には含まれています (一般には、共和党 Republican よりも民主党 Democrats のほうが環境問題への関心は強いのでしょう)。 その後ブッシュ政権で、自動車メーカーや石油業界の出身の人たちが政権に深くかかわるようになったことが、電気自動車のプロジェクトを中断して 実現までに まだ何十年もかかる (=その間に石油をたくさん売ることができる) 水素燃料電池車のプロジェクトに注目を引くきっかけとなったのではないか、という示唆。 とはいっても悪いのは強者ばかりではなく、電気自動車の物語を理解しようとせずに短期的な値札だけしか見なかった消費者の側も問題だ、という意見も紹介されていて、その意見も一理あると感じました。




私はかつて理工系の学校教育の中で、「エンジニアは腕を磨いてモノづくりに徹するべきである。 政治や売り込みに汗をかくことは、エンジニアの仕事ではない。」と教えられました。 実際に仕事を始めてから、この考え方はとても不完全で、時代に合わないことを悟りました。 本気で価値ある何か (モノでもサービスでも知識でもいいのですが) を世の中に提供しようと思うのであれば、「私は考えて作るだけの人間、あとは誰かが世の中に伝えてくれ」などと言っていては何も世の中に伝えることはできません。 役にたちそうなモノ・サービス・知識を企画して作りこむのは当然ですが、さらに売り込みも政治も自分でやって初めて、何かを世の中に伝えることができる。 そう私は思うようになりました。


この映画は、その一連のプロセスがどこかでうまくいかなかった状況の実例として、教えられる示唆の多い映画だと思います。 そして「どうせ世の中は腐ってる」と諦めるんじゃなくて、マーケティングと売り込みと政治の力学に対してどう働きかけていけばいいのか、を考えるよい教科書ともなる映画だと思いました。 また、かつての自分と同じようにモノづくりについての偏った考え方に汚染されているかもしれない優秀な若い人たちにも、この映画を見てほしいと思いました。 自分や家族や仲間の人たちの悩みや苦労や祈りを無駄にしないために。 いや、悩みや苦労や祈りだけならまだマシなほうで、場合によっては文字通り誰かの血や命がかかっている場面に直面することもあるかもしれません。




昨年の秋ごろから、ドキュメンタリー映画をなるべく観るようにしています。 最近観たものを挙げてみると:

  • State of Mind (北朝鮮の現状)
  • High Cost of Low Price (Wal Martと地域ビジネス)
  • Future of Food (遺伝子組み換え食物)
  • An Inconvenient Truth (温暖化問題)
  • Who Killed The Electric Car? (電気自動車)

これらの映像は、いろいろな社会問題について効率よく学ぶ手段としてとても便利です。


将来 日本で自分が何かをやろうとするとき、何かを発信する/伝える手段として こういうドキュメンタリー映像を作ることが役にたつこともあるのではないかな? と、ふと思いました。 地道に取材をして材料を集めるのには労力と時間が必要ですが、必ずしも巨大な資本が必要というわけではないので、ある程度限定された人数の人たち (数百〜数万人程度?) とのコミュニケーション手段として 動画映像を自分で作るということは (少なくとも技術面では) どんどんやりやすくなっていくように思います。


今日本では、通信と放送の融合についての議論が政府・産業界で続いていますね。


大昔に制定された放送法では、放送局は政治的・宗教的に中立であるべきである、と定められており、このおかげでドキュメンタリー作家の創造性が発揮できなかったりする場面もあるようですが、多チャンネル化の時代、ある特定の政治色を打ち出したドキュメンタリーがあってもいいじゃないか、とも思います。 法整備の流れの中で、「安全でつまらない」コンテンツが増えてしまうような規制は撤廃し、「多様で刺激的な」コンテンツを作って配信しやすいような仕組みができていってほしいと思います。


私たちが「お上からのお仕着せ」の思考・行動パターンを脱し、自分たちの社会について自分たちで学び、自分たちで考えて、そして各方面に働きかけをしていくための重要な情報源の一つとして、良質で多様なドキュメンタリー映像が日本でもっともっと作られて広く流通することを願っています。 「クローズアップ現代」「NHKスペシャル」とかも悪くないんだけど、ドキュメンタリーがそれしかないという社会は不自然・・・。




[追記 7/15/2006] 原爆をテーマに 16 分のドキュメンタリーを作ったシカゴのステファン・ソター君 (14歳) が、ピースボートの招きで今月 日本を訪問とのこと。

いいニュースだなあ、と思いました。 日本って世界最高の携帯ビデオカメラを開発したり売ったりする大人は既にたくさんいるんだから、自分の国の子供たちや大人たちがこういう活動をすることを支援する人たちをもっと増やしていきたいと思います。