格差社会についての雑感


3月25日付けの日経新聞によると、John Micklethwait (ジョン・ミクルスウェイト) 氏が英 Economist 誌の編集長に就任したそうです。 このニュースを見て、2004年の年末から2005年の年始にかけて読んでいた A Future Perfect: The Challenge and Promise of Globalization (John Micklethwait, Adrian Wooldridge) という本を思い出しました。
A Future Perfect: The Challenge and Promise of Globalization


そのとき (2005年1月1日付けで) Amazon.co.jp に投稿したレビュー:

政治・経済・社会のグローバリゼーションについて、観念的すぎる議論、退屈な決まり文句に飽きていた私は、この著者たちが語っている豊富な近年の社会的事例の分析に惹かれました。

たとえば、日常私たちが感じている「国境は今後も必要?」「政府の役割はもう重要じゃない?」「グローバリゼーションや貿易自由化に反対する人たちは何を求めている?」「それは敗者を量産するプロセスか?」といった疑問について、この本では観念論に陥らず、数多くの社会的事例の紹介を通じて著者たちの意見が語られています。 それぞれの事例の舞台はアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、中国、インド、韓国、日本、アルゼンチン、アフリカ、などじつに広範に及び、まるでテーマごとにタイムマシンに乗って世界旅行をしているような感覚にさせられます。 このような広範なニュースソースによる活き活きとした分析と意見展開は、この著者たちが Economist 誌の編集者だからこそ為しえた秀作でしょう。

終盤の要約の一つが印象に残りました: "Throughout this book, we have tried to build a measured defense of globalization. Yes, it does increase inequality, but it does not create a winner-take-all society, and the winners hugely outnumber the losers...." 日常接するニュースの歴史・背景を知るガイドブックの一つとしても、また、日本国内で起きていることと国外で起きていることの類似を探る手がかりとしても、一読をお勧めします。 (2000年版よりも、この2003年版のほうが9/11事件もカバーされていてなお良い。)

とくに、この "Yes, it does increase inequality, but it does not create a winner-take-all society, and the winners hugely outnumber the losers." という意見は、著者たちの立場を もっともストレートに表現したもの。


この意見、もしかして、昨今 日本で広く話題になっている格差社会について考えるときも役に立つかもしれない、と思います。 一般には、「ごく一部の勝ち組」と「その他多数の負け組み」、という なんともネガティブなイメージが伝えられています。 が、そもそも経済の Globalization と格差の拡大がリンクしていることは 明らかであり、国際社会の中での格差と、日本国内の格差は、まったく別物として考えるよりは、多少なりとも類似する経済的要因があると見たほうが自然。


国際社会の中での経済格差はいまなお、拡大するいっぽうです。 発展途上国が先進国側に移行するという例は 過去数十年存在していません。 もちろん 発展途上国の経済発展は先進国側にもメリットのあることなので、経済開発支援などの施策はつづいています。 そして、一部には、発展途上国は「平均して」少しずつ豊かになっている、という統計も見られます。 が、この格差がなくなる見込みは、おそらく限りなく小さいようにも見える。


同様に、日本国内におけるロウアー層、ロウアーミドル層とアッパー層/アッパーミドル層の間の格差も、拡大するいっぽうです。 そして、この格差がなくなる見込みは限りなく小さいものとして、現実的なビジネスや政策を実施していく必要がありそうです。 「格差は悪」という決め付けは、おそらく無意味な感情の軋轢しか生まないでしょう。


経済のグローバリゼーションが winner をたくさん作っているのと同じように、日本社会全体が豊かになることで、相対的に国内のロウアー層・ロウアーミドル層の人たちもその豊かさを感じられるような仕組みを考える必要があります。 ロウアー層、ロウアーミドル層の社会の中にも、多数の winner をつくっていく必要があります。


それは、必ずしも年収の面でアッパー層へ移行するという意味ではないかもしれません。 日本は先進国ですが、発展途上国に生まれた人たち全員を私たちは「負け組」と呼ぶのでしょうか。 このようなネガティブな言葉を使っていては、日本が国際社会でますます信用をなくしていくだろうと思います。


「自分は先進国に生まれなかった、自分はなんて不幸なんだ」と発展途上国に生まれた子供たちが感じるような世界を、私たちは望んではいないと思います。 どの国に生まれた子供たちも、祖国を愛し、父母を愛し、プライドを持って暮らしていけるような世界を私たちは望んでいます。 それと同様に、「自分は日本でアッパー層に生まれなかった、自分はなんて不幸なんだ」とロウアー層・ロウアーミドル層に生まれた日本の子供たちが感じるような日本社会を、私は望んでいません。 どの層に生まれた子供たちも、父母を愛し、郷土を誇りに思い、プライドを持って暮らしていけるような日本社会であってほしいと思います。


これは、同じことが日本の都市地域とそうでない地域の格差にも言えます。 「自分は東京に生まれなかった、自分はなんて不幸なんだ」と東京以外の地域に生まれた子供たち全員が感じるような日本社会を、私たちは果たして望ましいと感じるでしょうか。 どの地域に生まれた子供たちも、郷土を誇りに思い、プライドを持って暮らしていけるような日本を、私たちは望んでいると思います。


国際経済のグローバリゼーションについてのさまざまな賛否の議論、さまざまな積極的な努力 (格差をなくそうとする努力というよりは、「フェア」であろうとする努力) について学ぶことで、 日本国内の格差社会について参考になる考え方が学べるのではないかな、と思います。