おいしい食事、ひとり暮らし、世界経済。


以前、東京の調布市に住んでいたころ、お弁当屋さん「オリジン弁当」[4] が好きでよく利用した。 ふつうの弁当屋さんよりもずっとおいしくて元気が出るお弁当と、おいしい お惣菜。 最近 知った大戸屋[5] もそうだけど、ひとり暮らしの私が きちんとした食事を続けていくためには、週末や年末には自分で簡単な料理を作ってスキルを維持しつつ、時間がない平日とかには こういう良心的な外食・中食ビジネスのお世話にならないといけない。


日本では、2000年に27.6%だった単身世帯比率は増加を続け、2010年に30%を超える見込み。「ひとり暮らし = 外食中心 = 体に悪い = 貧しい食生活 = 『きちんとしていない』」という偏見から、私たちは卒業する必要がある。 ひとり暮らしでも、外食が多くても、おいしくて体にいいものを きちんと食べて元気に暮らしていく方法を学ぼう。


そのオリジン弁当の会社、オリジン東秀を、3月14日にイオン株式会社が買収した [1]。 私は オリジン弁当のSmall Businessな雰囲気が好きで、それが あの高品質を支えているように思う。 大企業であるイオンの傘下に入ることで、おいしさや健康への気遣いを犠牲にして効率重視に走ってほしくないなあ、と思う。


外食・中食ビジネスを利用しつつ、おいしくて体にいい食生活を維持するには、食べ物がどこから来て どのようにして店頭に並んでいるのか、が気になるところ。 けれど、これを知るのは あまり簡単ではない。


例えば、シアトルの宇和島屋で いわし油漬けの缶詰を買う。 価格約3ドル。 このいわしは、実はノルウェーの港で水揚げされ、千葉の水産業者によって加工され、神戸の貿易商社の手によりシアトルに届いている。 例えば、シアトルの日本食レストランに入って さばの塩焼き定食を注文する。 価格約8ドル。 本を読みながらテーブルに座って待つこと約10分。 レストランの人が料理してくれた、おいしそうな日本食が提供される。 その一つ一つの食材がそのレストランに届くまでの間に経ている過程に思いをめぐらせるとき、そのテーブルの日本食は世界経済の縮図にも見える。


3月17日のネットのニュース番組「マル激トーク・オン・デマンド」のテーマは、牛肉のBSE(狂牛病)問題だった [2]。 狂牛病の伝染経路はまだはっきり特定できないが、肉骨粉と呼ばれる飼料は危険だという。今ではいくつかの国では違法になったが、死んだ牛の死骸を加工して肉骨粉とし、牛に餌として与えていた。 これは自然界の食物連鎖にそぐわない蛮行である、「リサイクル」なんていう美名にだまされてはいけない、私たちは「ふつうに、まともに牛を育てる」正気を取り戻さないといけない、とゲストの福岡 伸一氏は言う。 そのとおりだと思う。


残念ながら、アメリカやヨーロッパの畜産農家をして、生命のルールに反するまでのコスト削減に走らせたのは、私たちの「牛肉を安く買いたい」という経済的な動機。 私は、外食・中食ビジネスのひとりの顧客として、おいしくて体にいい食生活のためにお金を使いたいと思うのだが、世界の経済のシステムが農家の人たちを追い詰めている話を聞くたびに、悲しく思う。


この話をニュースでみて、似たような食べ物と経済の問題が、大豆・小麦・とうもろこしなどの遺伝子組み換え食品にもあることを私は思い出した。 去年の11月、シアトルの映画館で The Future of Food という映画を観た [3]。 この映画は、アメリカで開発されている遺伝子操作された穀物 (大豆、小麦、とうもろこしなど) が、いかに世界経済の中にひろまり (日本もこの穀物の大きな輸入国の一つ)、アメリカだけでなく他の農業国の農家を脅かしているか、という問題についてのドキュメンタリー映画。 映画では、Monsanto という大企業 [6] が、「消費者に、安い穀物を大量に届ける」ことを建前に、遺伝子操作された穀物を育てようとしない農家に圧力をかけている様子が描かれている。 この大企業の力、効率優先の経済原則を前にして、私は日本で、アメリカで、果たして おいしくて体にいい食生活を送ることができるのだろうか。


3月17日のニュース番組では、福岡氏と宮台氏が、食物連鎖のなかの「種の壁」について興味深い話をしていた。 同じ種の生き物を食べる (共食いする) ことは自然界に例がないわけではないが (カマキリのメスが産卵のためにオスを食べるなど)、生命システムがまったく同じなので、相手の病原体や寄生虫をすべて引き受けないといけない。 これに比べて、違う種の生き物を食べるほうが、健康の面で安全な場合が多い。 たとえば、昆虫に寄生するウィルスは、人間には寄生できない。 この自然界のしくみは人間社会にも見られ、たとえば私たちは一般に近親相姦を避け、結婚相手には血縁のない人を選ぶ。 私たちは自分たちの繁栄のために、狭い空間での自家中毒を避け、「遠く」のものと交流することで より強い生命体になっていく。 この原則は生命システムにも、社会システムにも (近接性 proximity のブロックとして) 見られる構造。


この話についての雑感 ―― 私たちが個体として学習した記憶は個体が死ぬとき失われ、私たちの子供は 遺伝情報からスタートして社会を学びなおさないといけない、というしくみになっていることは、一見不便だが、じつは私たちの生命システムをより強くしているとリチャード・ドーキンスも言っている。 こうした「遠隔性によるシステムの維持・平衡」は、 近年のビジネスの組織論で言われる「弱い絆 (組織外とのゆるい協働) vs. 強い絆 (組織内での強固な協力)」のバランスの話ともつながっているように思う。 生命がオープンシステムだとしたら、そのオープンシステム自身の変化はいったいどこへ向かっているのだろうか。


番組の中で最後に福岡氏が述べていた言葉が印象深い。 「戦後の歴史を通じて、日本人のエンゲル係数は低下したんだけど、これはじつは豊かさの証明というよりは、『一円でも安い』食べ物を求めようとした私たちの新たな貧しさの証明でもあるのではないか。」


―― ひとり暮らしでも、たとえ仕事が忙しくてレストランや お弁当屋さん・惣菜屋さんに頼ることが多くても、おいしくて、体にいいものをきちんと食べて、元気に暮らしていこう。 それがいま簡単ではないのなら、そういう暮らしが送りやすいように世の中のシステムを変えていこう。


5月の一時帰国のときに、何年ぶりかに オリジン弁当のお弁当で食事しようと思う。


参照
[1] イオン株式会社 3/14/2006ニュースリリースオリジン東秀株式会社の子会社化について」 http://www.aeon.info/news/newsrelease/200603/0314-2.html
[2] マル激トーク・オン・デマンド 3/17/2006放送「もう牛肉を食べても本当に大丈夫なのか」. 福岡 伸一 (青山学院大学理工学部 化学・生命科学科教授)、神保、宮台. http://www.videonews.com/
[3] 映画 "The Future of Food". 2004年、アメリカ. 11/25/2005上映 (Varsity Theatre, Seattle). http://www.thefutureoffood.com/
[4] オリジン弁当 http://www.toshu.co.jp/origin/
[5] 大戸屋 http://www.ootoya.com/
[6] Monsanto http://www.monsanto.com/