ミヒャエル・エンデ「モモ」


今年の1月ごろ、この本をひさしぶりに再読したのでちょっとメモを書いた。


モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 (岩波少年少女の本 37)
モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 (岩波少年少女の本 37)


ミヒャエル・エンデの物語は、見かけは児童文学だけど、内容は大人たちと現代社会への痛烈な風刺。


モモが友だちに囲まれて楽しく暮らしている世界に、「遊びは時間の無駄だ」と言う灰色の時間どろぼう達の魔の手がのびる。 時間どろぼうを生み出したのは実は大人たちの心、子供たちは忙しい親たちに相手にされず寂しい日々を送る。 時間の境界に旅立ったモモはそこでこのうえなく美しい音楽とかけがえのない時間の花のことを知り、それが人の心に与えられた時間の秘密なのだと発見する。そしてモモは時間どろぼうたちと闘って盗まれた時間の花を人々のもとへ返し、光と花の歌を人々に伝える。


大上段に教訓を垂れる論説でなくて、エンターテイメント性をそなえた寓話なので、余計に心に残る。 とくに、モモが時間のみなもとを訪れたときに出会う音楽、光の柱、振り子、現れては消えていく花の描写は美しく神話的で、どうにも忘れられない (ルドルフ・シュタイナーの描く世界を想起させる)。


日々忙しくしている犠牲と引き換えに、自分はいったい何を得ているんだろう。 生産性だの時間管理だの目標管理だのに目くじらを立てて、それでいったい自分の日々は幸せなんだろうか。 立ち止まって考えるとき、ときどき読み返したくなる物語。


ひさしぶりに再読したら、エンデがこの物語をドイツで発表したのは、私が生まれたのと同じ1973年だったことを発見して、ちょっと嬉しくなった。




・・・というのが、1月に再読したあと書いたメモの内容だった。


そこに今日の発見 (4/28/2006) !! 神田昌典氏のメルマガで最近、神田氏がこの本を紹介。 私は、この本は大人こそ読むべきだ、と思っている一人なので、なんだか仲間が増えていくようで嬉しい。 きっとこういう形で、この本は根強く読まれていくんだろうなと思う。


彼の公式ホームページは ちょっとアレというか、商売っ気が強すぎるのか、一見怪しげだけど (誰かデザインを手伝ってあげればもっとカッコよくできると思う)、さすがコンサルタントらしく、紹介文は面白い。 同時に、ケインズ理論の影と代替理論についてエンデがインタビュー形式で話している「エンデの遺言」についても神田氏は紹介している。


以下、「神田昌典の、ちょっと仕事の合間に・・・Vol.64」、2006年4月28日号からまるごと引用。

ミヒャエル・エンデの「モモ」を読んだことがありますか? 私が海外に在住していた時期に日本で出版されたようで、私はいままで読んだことがなかったのですが ― この度、読んでみたら、恐ろしく衝撃的な本でしたね。


これほど頁を捲ることが恐ろしく、なおかつ希望を感じてしまう本は、大学生のときに読んだグレゴリーベイトソンの「精神と自然」以来じゃなかったかな?


ストーリーは、灰色の男たちが、時間貯蓄銀行に時間をためることをひとびとに勧誘するという話なのですが、単なるファンタジーではなく、エンデ氏は、この本を金融の専門家に多数インタビューをすることで書いたそうです。


つまり・・・時間というのは利子制度のメタファーであって、時間貯蓄銀行をそのまま現在の金融制度に置き換えても当てはまります。


さらに、この本は、一九七〇年代に書かれたそうなのですが、いま読んでみると、まさにインターネット社会の到来を明らかに予見していたように思えます。 そもそも灰色の男の名前が、XYQ/384/b氏なのですよ。WEBアドレスの形式となっているのには、驚かされます。


私なりの解釈はまた別の機会に譲りたいとおもいますが、ぜひ勇気のあるビジネスマンは、読んでみてください。 ビジネスをやる気がうせます(笑)。 いや冗談じゃなく本当の話で、価値観が根底からひっくり返される。ただ、これを乗り超えたあとには、経営者としての器が広がっているだろうなぁ、とおもいます。


勇気のある方は、ぜひご一緒に、「エンデの遺言」もお読みください。これも読むと、金を稼ぐ気を失います(笑)。 ただ、それを乗り越えると、創造性豊かな童心がふつふつと涌いてきます。その結果として、豊かなビジネスができるようになれるかも! どちらを選ぶかは、あなた次第!